「パブリック・アート」とは何か ファーレ立川・岡﨑乾二郎作品から考える
藪前知子
しばしば「芸術」は、公共という概念そのものを表象したものと考えられる。芸術作品は、所有者のものであると同時に、「みんなのもの」でもあると言う二重性を運命づけられている。単なる個別的な感覚から出発したものが普遍的な価値を獲得する。芸術とは、その合意を保証する便利な手段だが、一方で、その合意を形成する試行錯誤自体が、芸術の主題なのだということもできる。とりわけ「みんなの芸術」であるパブリック・アートは、このことが作品の存在意義に直結する。都市の景観としての機能に抵抗し、論争を呼んだリチャード・セラの《傾く弧》のような例を経て、現在多くのパブリック・アートが、その公共性を保証する手段として、その場所の歴史や文脈を作品に組み込む選択をしている。その発展形が、近年興隆してきた芸術祭や地域アートプロジェクトであることは言うまでもない。
1994年に竣工した、日本におけるパブリック・アートの代表例といえるファーレ立川は、かつて米軍駐在地があった場所、日米地位協定が暗に示す二重の法によって統べられた歴史を持つ土地にある。「ここは誰の場所なのか?」という問いが先鋭的な政治性を帯びる点で、パブリック・アートにとって象徴的な場所であると言える。その「所有者」が、「みんなのもの」であるはずの作品を壊すことができる権利をほのめかしたとき、「パブリック・アート」を巡る二重性がはっきりと姿を現す。このことがたちまち、ここの歴史と記憶だけでなく、未だ現在進行形で日本の領土に起こっている問題までも批評的に召喚してしまう場所であることに留意しなくてはならない。
近年、商業地域としての人の流れや経済状況の悪化など、所蔵者の現在を取り巻く利害関係、言い換えれば、今現在の力の方向が、パブリック・アートの命運を左右する事態が日本の各地で起きている。そもそも、ファーレ立川も含めて、多くのパブリック・アートは、ジェントリフィケーションという単線的な時間軸のなかで計画されている。そうした個別的な時間が、「パブリック」という複数性を条件とする概念とは相反するものであることを指摘しなくてはならない。その作品、その場所を共有している「みんな」の中には、当然のように、未来の人たち、いまだ生まれていない人たち、もしかしたら人間ではないものまでも含まれている。パブリック・アートとは、そうした複数の時間に属する者がみんなで一つの共同体をつくるような、そうした機能を持つものとして現れるはずである。
さて、ファーレ立川の一部である岡﨑乾二郎の《Mount Ida─イーデーの山(少年パリスはまだ羊飼いをしている)》の撤去を巡る一連の経緯のなかで、私のなかに繰り返し去来したのは、数あるパブリック・アートのなかで、よりによってなぜこの作品が渦中のものとなったのだろうかということだった。なぜなら、この作品こそが、ここで述べたような「パブリック」の空間とは何かという問い、その議論を発生させるひとつの装置として考えられるからだ。まるでこの出来事を作品が予見していたかのように、あるいはまるで、この作品に予め埋め込まれていたプログラムが、30年の時を経て作動したかのように私には見えたのである。
商業エリアに展開するファーレ立川は、ディレクターの北川フラムの言葉によれば、「機能(ファンクション)から美術(フィクション)へ」というキャッチフレーズのもと、車寄せや通気口などの都市機能を芸術作品に変貌させるというコンセプトを持っている。「機能」という点から見るならば、岡﨑作品は、地下駐車場の排気口をカバーするメッシュ状のフェンスである。ここで岡﨑が行ったことは、あらかじめ「大きさ」として与えられているこの27メートルの細長い土地の、地面の息吹のように湧き上がってくる下からの力も含めた種々の文脈を読み解き、それらを統合するフレームを発見し決定することだったといえる。
フレーム/フェンスであるということはつまり、囲まれた空間こそがこの作品の主役なのだということだ。フェンスの形は、同じひとつの基本形を元にしながらひねったり切断したりして取り出された4つのパーツを、反復しながらも連続する形で接合させて作られている。同時に、建物を背に、市民が歩く遊歩道側の正面とモノレールの上部からしか見ることが出来ないという条件から、戦士の姿を回転させて反復させたギリシア神殿のペディメント(三角破風)のように、同じ形を180度回転させ、見えないはずの裏面も同時にみることができるような配置も行なっている。手前に現れる(想像上の)面と、背面との二つの面の間に、存在は感知されるが見ることができない内部空間=ヴォリュームを出現させるという手法は、当時の岡崎の多くの彫刻と建築の仕事にも共通している。
こうした操作によって示されたヴォリュームは、継ぎ合わされた複数の空間を一つに統合する。このフェンスのなかが、冒頭で述べたような、複数の時間と空間に属する者たちが集まる「みんなの空間」のモデルであることは言うまでもない。「基地」のようなフレーム(つまりは権力)があるのではなく、充填された豊かな内部がある。人間が入ることのできないこの空間には、さまざまな植物が植えられ、それに誘われた鳥や虫たちが集う。かつてこの土地にあった「フェンス」、占有された土地の記憶が、新しい意味を帯びて塗り替えられるのである。
かつてこの地を巡って闘争に身を投じた人たち。この作品を楽しみ、守ってきた人や動物たち。これからこの場所に来る人たち。作品はこれらの人たちを出会わせるとともに、現在の時間のなかでは聞こえない声を届ける機能を持つ。もちろん「みんな」のなかには、今回、この作品を撤去した方がよいと考えた人たちも含まれている。公共的空間の輪郭は、現在進行形の議論のなかでしかあらわれないゆえに、今回のように現在の力関係によって危機にもさらされる。同様の事例は、今後も日本各地で増えていくだろう。しかし重要なのは、その状況が、芸術が内包する時間の一部でしかないことを認め、それでもそれが「みんなのもの」であり得るのかを、多角的に検討し議論を続けることである。この作品が発動させた今回の出来事が、一件落着として忘却されるのではなく、未来のために記録され引き継がれることを願う。
注 岡﨑乾二郎にとって、「パブリック」を考えることが芸術の本質的な問いであることは、その作品のみならず多くの著作から読み取ることができる。特に80年代末から、ファーレ立川を経て、灰塚アースワークプロジェクトを手掛ける90年代半ばまではこの主題が多くみられるが、その一例として、当時編集同人を務めていた『FRAME』第三号の「パブリック・アート」特集および以下の文献を挙げておく。岡﨑乾二郎「芸術をいかに使うか?」『FRAME』3、1991年、pp. 109-111 ファーレ立川作品の構造については、以下の文献に詳しい。岡﨑乾二郎「彫刻の支持体」『武蔵野美術』107号、1998年、pp. 58-67 上記の2文献は、以下に再録されている。『岡﨑乾二郎 Kenjiro Okazaki 1979-2014』BankART1929、2014年、pp. 210-211、pp. 222-225