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2023年01月31日 公開

 

上野憲示氏の逝去を悼む

 

竹山博彦

 

 

訃報に接して驚いた。まだ75歳にもなっていないのに

50年前の4月、この年の11月に開館する栃木県立美術館準備班の学芸員として私をふくめて20代の三人が新規に採用された。一人は同志社大学を卒業して、百貨店に勤務していた矢口國夫氏、もう一人が卒論のためだけに留年して5年かけて東京大学を卒業した上野氏だった。辞令交付式で初めて会った三人は、よきライバルとなった。国際交流基金を経て東京都現代美術館の学芸部長を務めていた矢口氏は、60歳定年になる前に逝ってしまった。

上野氏は、宇都宮市の名門私学宇都宮学園の理事長の養嗣子となることが決まっていて、いずれ美術館をやめて養父の跡を継ぐことになっていた。養嗣子となるにあたって彼の出した条件が、芸術系の大学を創設だった。それが現在の文星芸術大学である。1年プラスして仕上げた卒論のテーマは日本の漫画のルーツともいわれている鳥獣戯画巻、そのこともあってか、ちばてつや氏を教授に迎えて漫画教育の専科を誕生させている。

三人とも同時に美術評論家連盟の会員になったように記憶しているが、美術館、教育、評論の分野でそれぞれが努力していたことが、走馬灯のように繰り返し脳裏によみがえる。

数年前、文星芸術大学の博物館「上野記念館」で、氏の4代前の写真家上野文四郎の展覧会が開催され、見学に訪れたのが最後になってしまった。別れ際に「上野氏の親族も、上野家の人々も長寿なので、どうぞ長生きしてくださいね」と言ったのを、思い出した。

新しい美術館の準備に携わった矢口氏、大学を新設した上野氏、自身でも気が付かなかったストレス蓄積があったのかもしれない。

とうとう一人になってしまった。

今ここに改めて哀悼の意を表します。やすらかに、合掌

 

『美術評論家連盟会報』23号