佃堅輔氏を悼む
清水康友
永年、法政大学で西洋美術を講じた佃堅輔氏が逝去した。私が氏と最後に会ったのは一昨年の4月であったが、以後公の場には姿を見せなかったようだ。コロナ感染を警戒しての事と解していたので、その訃報は驚きであった。
氏の専門はロシアを含む東ヨーロッパの美術、別けてもドイツ語圏の画家に関してであった。初期には、セザンヌやゴッホ等の印象派の画家に関する書籍の翻訳を行い、次いでH・E・ホルトゥーゼンの『アヴァンギャルド芸術論』(国文社)、H・デーミッシュ『現代芸術の原像 – ヴィジョンと神話』(法政大学出版局)、M・ランガーの『ゼロ度の芸術』(近代文芸社)等を翻訳。それ等の優れた業績により、晩年は翻訳家協会の役員も務めた。
90年代の著書『視点の冒険』(美術倶楽部)でのドイツ印象派の紹介は注目される。ドイツの画家では『パウラ・モーダーゾーン=ベッカーの素描』(東洋出版)で31歳で夭逝した女性画家の作品を論じ、『状況と自己』(西田書店)と『絵の証言』(西田書店)では、キルヒナーからリヒター、キーファー等のドイツ人画家に加え、ロシア、スイス、オーストリアの画家についても論じた。中でもドイツ領ポーランド出身で、ナチスによりアウシュビッツ強制収容所で虐殺された、ユダヤ人画家ユーロ・レヴィンの紹介は氏の慧眼による。更にロシア出身でドイツで活躍したA・ヤウレンスキーの日本初の評伝『画家ヤウレンスキー』(美術倶楽部)は、代表的著作となった。現在は美術誌に「国を追われた画家たち」を連載し、キルヒナーについて詳述していたが、残念乍ら中断となった。
佃氏の論述の背景にあるのは、戦乱や迫害で生きる場と精神の居所を失いながらも、制作を続けた美術家達への深い想いと敬意である。人間の尊厳を無視した理不尽な蛮行に対する怒り、非難と悲しみが底流しているのだ。このようなリベラルな考えを持っていたが、それは氏が広島の出身である事と、無関係であるとは思えない。現在彼が論じた美術家達が生れ、活動した地域でロシアによるウクライナ侵攻が続いている。だがこれを憂い反対する言葉を聞く事は、最早不可能となってしまった。実に悲しむべき事である。
彼は絵を描く事が好きでパリ美術大学の在外研究員時代には、アトリエに通って絵を学んだと語っている。自身が企画する美術展には、毎回力作を出品していた。
私は氏と40年に及ぶ永い交誼を重ねてきました。しかし穏やかで飄々としたその姿に接する事は、適わなくなりました。ここに彼の業績の一端を示し、悲慟の念と共にこの小文を以て、佃堅輔氏への追悼とさせて頂きます。