なだらかなコミュニケーションをめざして
四方幸子
2021年は、連盟にとって激動の年となった。「アーツ前橋における借用作品の紛失及び前橋市の対応について」の市への送付、続けて同文書の撤回とお詫びを発表したことで、社会における連盟のイメージを損ない、会員の皆さまにご迷惑をおかけすることとなった。秋には前会長の突然の辞任があり、本件をめぐる報道では美術界に存在する非対称性が連盟内外にさらされた。前者については常任委員として、皆で真摯に取り組みながらもこのような結果になったことを重く受け止めている。その後立ち上がった共同意見の発表方法を再検討するワーキンググループに参加し、ともにまとめたものを常任委員会より「共同意見に関する規定」と「共同意見の起案、検討、審議に関する内規」として提案、11月の総会で承認された。
私は2014年に会員となり、2020年5月に美術評論家連盟2020年シンポジウム「文化/地殻/変動 訪れつつある世界とそのあとに来る芸術」の実行委員長を務めた。委員長に任命されたのは2019年春、当時構想したのは、21世紀以降に起きたデジタル化を筆頭とする世界的な社会や環境の変動を踏まえつつ、美術や美術評論の存在意義そして新たな可能性を分野を超えて検討することだった。
変動とは、具体的にはVR(ヴァーチャル・リアリティ)やAI(人工知能)、生命科学、宇宙科学に代表される科学・技術の進展が、近代において自明とされていた「現実」「人間」「生命」などの概念を問い直し、哲学、倫理的な問いを投げかけていること、環境汚染や気候変動が深刻化し、人間のみならず地球上の様々な存在を巻き込んだ「人新世」と呼ばれる時代に突入していること、そしてジェンダーや人種、経済などあらゆる面での不均衡に対し人々から声が上がり、議論が巻き起こっていることなどである。いずれも西洋近代を基盤とした既存の諸システムの修正や更新を迫るものであり、美術界においても例外ではない。
近年において美術は、社会のあらゆる領域へとテーマや関係を拡張し、多様化、複雑化している。美術とは、既存の社会通念や慣習から距離を置き、異なる視点で世界を顕在化させる創造的かつ想像的な場であり、領域を超えて知識が共有され、人々の自由な対話を開く可能性を持つ。そしてそれは、他者排斥や不寛容に晒されがちな現代において、様々な差異を受け止め、各存在の潜在性を発現させるシェルターであり孵化器としてますます重要性を増している。その場所は、守られねばならない。そしてその場所自体に非対称があるなら、そこから修復する必要があるだろう。
シンポジウムの準備を始めた矢先、あいちトリエンナーレ2019で「表現の不自由展・その後」の展覧会閉鎖と、それに発する諸問題が起きた。私の解釈では、それは(1)グローバルに巻き起こっている検閲や人々の間の非対称性の問題、(2)日本の美術やそれを稼働させている構造的問題、(3)行政の文化政策上の諸問題、(4)社会の諸問題(経済的分断、美術関係者と人々との「文化的分断」)、日本とグローバルな社会における政治、社会そして美術における違いなどに起因するように思われる。
あいちトリエンナーレを巡る状況を注視しながら、2019年10月初旬ドイツに飛び、第52回国際美術評論家連盟(AICA)国際会議「ポピュリズムとナショナリズムの時代における美術評論」に参加した。(*) 本会議で討論された諸問題──ポピュリズム、ナショナリズム、ジェンダー、検閲、デジタル化、そして美術評論自体など──は、美術や美術評論が現在世界的に直面する危機の最前線であり、日本の状況と比較検討する貴重な機会となった。またリスベス・レボロ・ゴンサルベスAICA会長やダニエレ・ペリエAICAドイツ会長兼本国際大会委員長をはじめ、関係者と直接お会いし交流することができた。
当初念頭にあった社会や環境の変動が、美術においても大きな問題として波及する中、美術や美術評論も含む日本の未来を左右する「文化の地殻変動」の、まさに只中にあることを痛感し、クリティカル、つまり「危機的」状況において「批評的」に生起しうる批評の重要性から、シンポジウムのメインタイトルを「文化/地殻/変動」とした。その後も、当初の問題系が次々と現実化し押し寄せるかのような状況に見舞われた。
シンポジウムを5月に控えた2020年初頭には、新型コロナウイルスによる感染症が地球規模に拡大し、社会や生活全般、そして美術界や連盟の活動を大きく変えてしまった(連盟は以後、すべての会議をオンラインに移行し現在に至っている)。
シンポジウムは、最終的にオンライン配信(美術評論家連盟・SUPER DOMMUNEとの共同主催)へと切り換えたが、専門領域を超えて社会や美術に至る切実な問題とその共通性を確認するとともに、配信やアーカイブを通じて広範囲かつ非常に多くの方にご覧いただくことができた。
それから1年半以上が経過してもコロナ禍が収束しない事実は、ポストパンデミックの時代に本格的に移行したことを意味するのではないか。人類史、ひいては地球史的な大転換といっていいだろう。
すでにデジタル化が、西洋近代に確立された統一的な人間像を解体していた。コロナ禍によって人間は今や、生物的にも様々な細菌やウイルスが共生しネットワークを形成する培地的存在として浮上した。私たちの身体は、物質、非物質にかかわらず常に入出力が絶えず、ミクロの生と死が生起し続ける動的プロセスにある。同様に、言葉や映像、知覚などの情報が記号として入出力を繰り広げる結節点として人間があるだろう。そして人間同士もそれ以外の諸存在も、様々なかたちでつながり絡まり合って生態系を形成している。
新型コロナウイルスによる感染は、現代の科学・技術や医療を基盤とした生命観の変化や生政治の問題をより鮮明に露呈させた。美術においてはすでにここ10年、21世紀の合成生物学以降のバイオアートを始め、社会や政治、経済との関係における人間存在や生命体としての人間自体へと踏み込む試みがなされてきた。それは「ライフ(生命、人生、生活)」を、個を超えたミクロやマクロの時間や空間スケール、そして人間以外へも延長する視座をもたらしたように思う。
洞窟壁画に顕著なように、芸術は人類とともにあったが、現在の美術、美術史、美術批評は西洋近代以降の延長にある。そこでは人間による、人間に向けた美術が前提とされてきた。しかし現在、美術の本質的な側面の一つとしての、抑圧されたり忘れ去られた存在や事柄に耳を傾けようとする動きをそこここで見ることができる。過去に生きた者、未来に生まれうる存在…人間そしてそれ以外の存在を想像すること、それはケアや修復というアプローチにもつながっている。加えてデジタルやバイオテクノロジーの進展が、様々なアルゴリズムやマイクロオーガニズムの作動による、人間によらない美術や人間に向けてだけではない美術を生み出し始めている。コロナ禍によって、ますます格差が広がり混迷や対立が深まる社会において、私は美術こそが、既存の領域や境界を超える自由でオープンなコミュニケーションの場だと信じている。
連盟は今後、いかに社会と関わりうるか、社会や美術に貢献しうるかを、美術評論やキュレーションを通して理論と実践を往還する中で社会へと開いていく、まさにそのような使命をもつのではないか。そのために私は、連盟の外に向けて、同時に連盟内においてなだらかなコミュニケーションを開いていきたいと思う。外に向けては、美術、美術評論そして連盟の意義をしっかりと発信していくこと。内部においては、常任委員と会員、会員相互の対話(世代や専門、立場を超えて)を促進していきたい。会員の皆さまそれぞれの美術や美術評論のあり方や使命についての思いを大切にしながら、できることから少しずつ、ともに連盟の未来を創造していきたいと思う。
同時に連盟が、美術評論家やキュレーター、アーティスト、研究者や学生など、美術に関わるさまざまな人々とともに美術を活性化するとともに、領域横断的に異なる分野の人々となだらかにつながった社会・文化的生態系を形成していく端緒となればと願っている。美術が、諸領域を横断して地下水脈のようにあまねく浸透していく、そのような世界へ向けて。
(*)四方幸子「ポピュリズムとナショナリズムの時代における美術評論」はどうあるべきか? 第52回国際美術評論家連盟国際会議レポート(Web版『美術手帖』2019/11/16)
https://bijutsutecho.com/magazine/insight/20879