雑感―実在と可謬性について
林道郎
先日、ある読書会のために江藤淳の『成熟と喪失―「母」の崩壊』を読み返していたら、小島信夫の『抱擁家族』を論じた一節に、こんなことが書いてあるのに気づいた。妻が姦通相手の元へ去るという現実(の崩壊)を経験しつつある主人公俊介の目に、自宅の庭が異様な存在感を放って見えだす。その場面について江藤はこんなことを言っている。
俊介がそれによって生きてきたイメイジが完全に崩壊したとき、彼の前にはにわかに実在があらわれる。彼が「喪失」し、「自由」になったということは、彼があらゆる役割から解放されたということである。彼は今、「夫」でも「子」でもなく、また「父」でも「大学講師」でもない。その前でものたちが新鮮な重量感に充ちて各々の存在をあらわにする。雀は、睡蓮は、犬は、カメの中の水は、在る。そして「在る」ものはずっしりと重く、動かしがたい。それは生の感覚であり、世界というものの重みであり、同時に俊介という完全に孤独な人間の視線が捉えたものの感触である。(講談社文芸文庫版、57頁)
この一節を読んで、李禹煥が1969年から展開することになる「事物」や「もの」についての言説との類似に気づかない美術評論家はいないだろう。大袈裟に言えば、江藤はここで、李が展開することになる論の大枠をすでに先取りしているかに見える。イメージの崩壊の向こうに「もの」(わざわざ著者は傍点をふっている)が現れ、それが「新鮮な重量感」に充ちて「在る」というのだから。
以前私は、李禹煥の「あるがままの世界」という概念を梃子にして、石子順造、川端康成、中平卓馬がひとつながりの言説クラスターを形成していることを指摘したことがあるが(『ART TRACE PRESS 2』)、この江藤の論もまたその一環であったことにまでは考えが及ばなかった。
ちなみに、江藤の『成熟と喪失』は、66年から雑誌『文藝』で連載されたものをまとめ、67年に単行本として出版されている。実際に李の意識の片隅に江藤の論があったかどうかはわからない。ただ、当時の江藤の文壇における地位や、同じ67年に創刊された『季刊藝術』に彼が深く関わっていたことを考えれば、その可能性はないとは言えないだろう。
もちろん、「もの」の顕現が、江藤の場合にはさらにエントロピックな崩壊へとつながり、李禹煥の場合には「世界回復」とでも言いたくなる現象学的な啓示へ向かうという方向性の対立はあるが、両者の論はほぼ同じ認識論的な構造の上に成り立っている。だからこそいっそう、その価値論的な相違がなにに由来するか——1970年前後の「現在」に対する対照的な歴史的判定——を考えることが要請されているとも言える。
このプチ発見は(すでに指摘があるのやもしれないが)、最近の、まさに小さな批評的な喜びだったが、ここで江藤が語っている「実在」という概念は、同時に、もの派とはまったく違う方角へと私の想像を飛躍させることにもなった。
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先日一応の決着をみたアメリカの大統領選挙だが、そこに至るまで長く醜い(とあえて言うが)狂宴が繰り広げられたことは記憶に新しい。深くコミットした当事者たちにとっては、いまだ癒えない傷かもしれない。
どこか上滑った感覚で濫用されたかに思える「分断」という言葉はあまり使いたくはないが、議論や検証といったことがほとんど効力を失ったかに見えた根深い対立は、かつて弁証法が前提していた対話とその継続的更新の可能性を見失った硬直した並行世界を思わせた。ポスト・トゥルースという概念は、その意味で、共有されうる時間あるいは「歴史」の喪失——フランシス・フクヤマが言ったのとはまったく別の意味で、ポスト・ヒストリー——を暗示しているのかもしれない。
そんなことを考えるのは、先の江藤の一節に言及される「実在」という言葉によって、当の江藤が複雑な思いを抱き続けたアメリカのプラグマティズムの伝統を思い起こされたからだ。というのも、パース、ジェイムズ、デューイなどに根を持つプラグマティズムの系譜においては、到達不能の彼方に想定された「実在」や「真実」への志向が、思考の連続的な更新の根本的な動因として措定されているからだ。
この思考の更新過程は、一言でいえば仮説と実験と検証の絶えざる繰り返しだが、その運動を裏から支えているのは、いつでも誤りうるという「可謬性(fallibility)」の概念である。つまり、どれほど真実に見える命題であっても、誤りかもしれない可能性があることを忘れないことが、究極の「真実」に向かう思考の進行を保証するというのだ。
「真実」を彼方に措定する——つまり、いつまでもそれを所有することはできない——という意味では、この思考はポスト・トゥルースと一面の親和性を持っているのではという疑いも出てくるかもしれない。が、両者は、ほとんど真逆のことを意味している。
ポスト・トゥルースは、「真実」概念を手放すどころか、むしろ一つの遠近法の中に閉じ込めて、その価値体系を絶対化し拡張するために「錦の御旗」として振り回す。かたやプラグマティズムにおける「真実」とは、限定された遠近法の外部に、いわば無限遠点として措定されたもので、可謬性を梃子にして視点の固定化を避けつつ、動的な過程を起動させる。彼方の真実や実在を信じるかどうかはさておくとしても、この可謬性というプラグマティズム由来の倫理は、アメリカの科学(広い意味での)の発達を支えてきた深い条件の一つだと思うのだが、歴史の動力でもあるその概念の共有が、当のアメリカでもはや困難になったかのようなここ数年の状況には、隔世の感を禁じ得ない。
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だが、もちろん、ことはアメリカだけのことではない。昨年の「あいちトリエンナーレ2019」の騒動に象徴されるように、近年の日本でも同じようなポスト・トゥルース状況が生じている。可謬性の自覚の欠落はやはり深刻だ。
さらに言えば、日本の場合、それが近代以降の日本における天皇の無謬性神話によってより強化されていることに注目しなければならないだろう。そのことを的確に指摘していたのは鶴見俊輔で、古代神話上の神々や前近代の天皇が、あちこちで過ちを犯したり羽目を外したりするきわめて「人間的」な者として描かれていて、それに不平を言う人はどこにもいないのに、なぜか近代以降、天皇は無謬の存在にまつりあげられてしまったことを指摘している(『アメノウズメ伝』)。そしてその無謬性を頑なに信じる限り、信奉者たちの時間は止まったままにならざるを得ない。
「どうして、昭和天皇になると、無謬の権威になるのか」と鶴見ははっきり言っているが、この「無謬」という言葉使いに、彼の中に深く根をおろしているプラグマティズムのこだまを聞くのは私ばかりではないだろう(彼の書くものに「まちがい(得ること)」という言葉がよく出てくることの意味をあらためて問わなくてはならない)。
プラグマティズムの再評価などということが言いたいわけではないが、どのようにしてその核心にある可謬性の感覚を回復することができるのか。それは、メディアを問わず批評的な営為にとって喫緊の課題ではないかと思うばかりだ。それが各人各人の自覚といった次元を超えて、土台として社会化されるためには、教育という実践についての時間をかけた再考が求められるはずだが、一部のオルターナティブな「学校」群を除いて(それらは小さな希望の種だが)、その気配が一向にないことは、憂鬱の種でしかない。