『モダニズムのハード・コア』から『Art Trace Press』へ
1995年、モダニズムの再起動
松浦寿夫
『モダニズムのハード・コア』は、柄谷行人、浅田彰両氏の共同編集による『批評空間』誌の臨時増刊号として、1995年の3月に太田出版から刊行された。そして、この臨時増刊号に関しては、浅田彰、岡﨑乾二郎の両氏に筆者が共同編集の作業に参加した。刊行の意図に関しては、序文の「導入にかえて」の部分に集約されているが、ごく単純化して言えば、クレメント・グリーンバーグ、マイケル・フリード、ロザリンド・クラウスらの批評が内包する理論的な問題群をこれらの批評家の文章の部分的な翻訳の提示とともに再検討すると同時に、美術と隣接する他の思想文化領域の問題群との諸関係を検討するという2点が共同編集者のほぼ一致した意図であった。―もちろん、三者の意図に若干の差異はあったにせよ―。この時点で、例えば、この三人の批評家の著作の邦訳はほとんど存在しないに等しい状況があり(クラウスの『オリジナリティーと反復』の小西信之氏による翻訳の刊行が前年の1994年のことであった)、また、その批評の対象となった作家たちの作品を見ることは日本国内においてはきわめて限定的なものに過ぎなかったが、1980年代以後単なる歴史折衷主義的な思考をポスト=モダンという指標の下に流通させる言説の担い手たちの多くがグリーンバーグの文章を読むこともないままに、グリーンバーグ型のモダニズムの思考体系の破産を喧伝する様態への少なからぬ苛立ちもまた、編者たちの共有する点であったことも指摘しておきたい。
ただ、この『モダニズムのハード・コア』刊行後四半世紀を経た現在、この書籍がどのような現実的な効果をもたらしえたのかという与えられた問いに対しては、単に筆者が編者のひとりであるからという理由によるわけではなく、率直に言って、返答のしようはなく、その効果を正確に見積もることもできない。とはいえ、2009年の「絵画の庭─ゼロ年代日本の地平から」展(国立国際美術館)の際に刊行された同美術館ニュース(175号)に掲載された林洋子氏の「〈絵画の庭〉へのプレリュード―1995年という分水嶺」が、本書の刊行年と同じ1995年を、一群の具象的な絵画の登場とともに、日本の美術に生じた地殻変動を明白に示す日付として強調すると同時に、編者たちには「海外の戦後美術の動きと批評に通暁したスノッブな関係者(ミリユー)」という侮蔑的なカテゴリー(しかもルビに付されたミリユーというフランス語の含意は反社会的勢力組織であるのだから)が準備されていたことを考えると、本書は作用力をほとんど持ちえなかったと認めざるをえないのかもしれない。いずれにせよ、ここでは、この書籍に収録された座談会での柄谷行人氏の指摘を取り上げておきたいと思う。柄谷氏はこの座談会に「傍聴者」として参加するに際して、グリーンバーグの著作集を通読して、彼が「現場的でありながら、なお非常に原理的な」批評家であることを指摘し、現場的であると同時に原理的である批評が成立する場が、かつて確実に存在していたことを強調している。そして、この指摘を支える現状認識は、改めて指摘するまでもなく、アカデミズムと現場との遊離という認識に他ならなかった。
ところで、奇妙な比喩ではあるが、モダニズムの思考自体は外国語の経験と似ている。他者の言語―とはいえ、母語もまた他者の言語でしかありえないのだが―のもとで、つまり外国語の環境において、思考はオリエンタリスムの欲望の投影による期待の地平への応答以外の方向を目指すとすれば、必然的に原理的な問題群へと向かわざるをえないし、このような問題群を通じてしか閉域からの脱出を実現できない。そのとき、思考は自国の文化紹介とは異なった次元を発見しえるかもしれないし、そして、『モダニズムのハード・コア』は、この先で思考しなければならないという苛酷な基準線を、少なくとも編者自らに課すものであったことも事実である。そして、同型の課題を例えばフランスの『マキュラ』誌に見いだすことができるだろう。『モデルとしての絵画』(1990年)の序文とも言える「脅迫に抵抗すること」と題された章で、著者のイヴ=アラン・ボワは、ジャン・クレと共に1970年代の後半に、同誌でポロック/グリーンバーグの特集号を準備している際に、グリーンバーグを嫌悪するハンス・ハーケからの批判を受けながらも、また、自らも多くの点でグリーンバーグの批評に同意できない点を見出しながらも、同時代のフランスの美術批評の「途方もない凡庸さ」に辟易し、その導入を試みたことを回顧している。
『モダニズムのハード・コア』がアメリカの美術批評の理論的な次元の導入の試みであったとすれば、『Art Trace Press』(ART TRACE、2011年-)は、むしろきわめて小規模な学習の記録と素材の提示の試みである。Art Traceは若い芸術家たちによる一種の協働組織として、2003年3月に設立され、その翌年の2004年に両国にArt Trace Galleryを開設するに至り、制作と展示の両面にわたる自律的な基盤を確立したが、設立当初より、林道郎氏と筆者は、定期的に研究会に招聘された(なお、林氏によるセミナーの記録は7冊刊行されている)。そして、2011年11月に、林氏と筆者との共同編集で『Art Trace Press』の創刊号を刊行し、現在までに、5号を刊行するに至っている。創刊号は愛知県美術館で開催された日本で最初のポロックの回顧展に際して、翻訳、論考、研究セミナーの記録を中心に構成した。その後も、各号、特集課題を設定し、研究セミナーの記録、論考、翻訳の構成を維持し、同時に、美術家への長いインタヴュー、現代日本の美術批評家の文章のアンソロジーを加えることになった。そして、度重なる編集会議で、自分たちの関心の対象、より正確に言えば学習対象を画定し、その対象が提示する問題群の理解に努めることとした。この単純な刊行意図から明瞭なように、本誌は何らかの批評的な方向の提示というよりも、ごく端的に、われわれの学習の記録に他ならない。