photographers' gallery pressについて
2000年代 写真家たちが切り拓く批評の領野
倉石信乃
photograpphers' gallery〔以下pg〕が批評誌『photographers' gallery press』〔以下『press』〕を創刊したのは2002年の4月、発足の2001年1月から1年あまり経っていた。創刊号はメンバーの活動記録や、当時ギャラリーが運営し多くの執筆者が連載したブログ「pg web」の記事の抜粋、また写真界の動向もまとめた年鑑の趣きがあった。次第に多様な話柄を扱うシリアスな批評誌へと転じ、この分野では歴史と同時代への戦略を併せ持つ稀少な雑誌へと成長を遂げた。『季刊写真映像』(10号まで、1969-71年)、『写真批評』(7号まで、1973-74年)、『写真装置』(12号まで、1980-86年)などの先例があるにせよ、創刊以来今日までの18年間に14号(ほか別冊1)を数え未だ継続していることも、およそ日本では類例を見ない。『press』の刊行は、pg創立メンバーの一人である北島敬三がかつて編集に名を連ねたタブロイド版の批評誌『KULA』(1988-89年)での経験を踏まえたものといえる。パリ、ニューヨーク、ソウル、東京、大阪、ウィーンを繋ぐ「インターシティ・マガジン」を標榜した『KULA』は3号で休刊したが、写真家と批評家、研究者、キュレーターらが同時代的に切実なテーマを協働しつつ探り当てようとする姿勢は『press』へと継承されている。
『press』では、今年休刊した『アサヒカメラ』などの「写真雑誌」がつとに扱わなくなっていた、日本写真史の結節点をめぐる再考が幾度も試みられている。そうした主題には、1968年の「写真100年展」、戦時下の瀧口修造や土門拳の言説、北海道および沖縄の写真史、広島での原爆災害などが含まれ、複数の批評家・学芸員・研究者たちがそれらと格闘してきた。00年代から10年代を通じて、写真史と美術史の制度に対する根底的な批判が定着するのと相俟って、新たに焦点が当てられた対象の一つに、いわゆる「ヴァナキュラー写真」がある。芸術作品の成立基盤を揺るがすその種の写真を一つの軸とする、「イメージ人類学」的転回も、『press』では様々な形で扱われてきた。研究者・批評家としてはじめてpg同人に加わった橋本一径は、この軌道において同誌に重要な論文を発表し続けている。キュレーターとして実績を重ねている小原真史が時に己の企画と連動させながら『press』に寄稿してきたモティーフも、「芸術としての写真」という擬制を写真の周縁性において撃つことであり、その身振りを介してなされる日本近代批判であった。
今日の日本では、ドキュメントの渉猟と編集に長けた「エスノグラファーとしての美術家」が、展覧会や美術館の制度において有為とされる評価が普及している。かかる状況においては写真・映像は主要なドキュメントと遇される。その結果、記録を表現と不可分と見なす自意識を保持することが先鋭的な写真家にとっての最低綱領であったとすれば、そんな立場もアートとドキュメンタリー双方から掘り崩されている。pgが抱えている難題は、その証左を自らの編集する雑誌のテクストそのものから突きつけられることにある。厳しい試練の常態化をメンバーたちは、アートとは一線を引く表現者たる危機意識とともに引き受けている。
それぞれの仕方で写真にオルタナティヴな可能性を見ようとするジェフリー・バッチェンやジョルジュ・ディディ=ユベルマン、また二人とはかなり対照的なスタンスからアートとしての写真を再措定しようとするマイケル・フリードの近年のインタヴューとテクストの邦訳を、pgが気鋭の研究者(甲斐義明、橋本)に依頼し、さらには前川修、林道郎ら碩学の論考を加えて彼らの写真的思考について、極めて充実した誌面を構成したのも、写真家たるpgメンバーたちの同じ危機意識に根ざしていると考えてよい。
来年1月には20周年を迎えるpgは現在、20代から70代まで幅広い世代の写真家が集う組織であり、各自の取り組む課題も多様だ。だがメンバーに共通するのは、写真家の仕事は写真を撮ることだけに非ずという「原則」を理解している点だろう。写真史を再考し現在形の視座を得るのも、新規に登録される写真論的な知見を批判的に吟味するのもみな、写真家のなすべき大事のうちにあると確実に悟っている。だからこそ『press』は、当事者である写真家が写真に深い関心を持つ書き手をどこまでも追い込み挑発することにより、写真を仲立ちにするユニークな人文知の糧を炙り出そうとする媒体なのである。
寄稿者として長く関わってきた私は、『press』ほど書き手に対してディマンディングな媒体もそうないと感じている。言い換えれば必死なのであり、私も激しく験されながらも同じ熱量で励まされてきた。向後も『press』が続く限り、そこに関わる書き手なら誰でも、制作と結びついた知への渇望と、あり得べき写真家のヴィジョンに対峙するという緊張がほどけることはないだろう。