美術評論家連盟と東京都美術館  齊藤泰嘉

2019年11月23日 公開

1 東京都美術館の歴史

 本稿は、美術評論家連盟が東京都美術館宛てに提出した要望書やそれに関する新聞記事を紹介し、1960、70年代における本連盟と都美術館との関わりを記録することを目的とする。

 日本初の公立美術館である東京都美術館(開館時は東京府美術館)は1926年に開館している。明治以来、岡倉天心はじめ美術界からは美術館の設置を国や東京府に求める声が高かった。日本にも本格的な美術館が是非欲しいという美術界の悲願に応えたのが「石炭の神様」と呼ばれた九州若松の石炭商佐藤慶太郎である。彼が東京府に寄付した美術館建設費100万円により建物が完成。佐藤は「古美術の保護」と「新美術の進展」(「美術館建設費寄付願」)の二つを望んでいたが、美術家たちの必要とする新作発表の場の確保が優先され、館は帝展など美術団体展への会場提供を主要な事業(ギャラリー機能)として出発した。この貸館事業は現在まで続く同館の主要な機能である。だが、見落としてならないのが、すでに戦前から萌芽的に存在していた同館のミュージアム機能(資料の調査・研究、収集・保存、展示・教育)の存在である。例えば、作品収集は開館の翌年1927年から始まり、館主催企画展第1号「大原孫三郎蒐集泰西美術展」は1928年に開催されている。1953年には佐藤記念室が設置され、自主企画展や収蔵作品展が行われた。

 都美術館は開館間もなくして手狭となり、早くも1929年には大規模な増築工事が行われる。その後も無理な増築工事が重ねられ、ついには岡田信一郎設計の建物は建て替えられることになり、前川國男設計の建物が1975年に竣工。これが現在の東京都美術館である。

 

2 陳列作品規格基準要綱と改築問題への対応

 美術評論家連盟保管の1964年7月23日付文書「1964年度総会の御報告」によれば、連盟は同年4月24日、東京国立博物館にて総会(会長富永惣一)を開催。そのときの議決事項に「都美術館への要請」がある。総会で「『東京都美術館陳列作品規格基準要綱』が芸術表現の自由にたいしてもつ影響力が大きいので、連盟としてなんらかの意志表示をすべきではないかとの動議」があり、連盟は都美術館に要請状を送った上、館長と連盟側小委員会との話し合いを実施。この時、「館側は、同要綱の影響力を了解し、可能なかぎり誤解の生じない表現に改めるという意志を表示」した。小委員会委員は滝口修造、針生一郎、中原佑介、東野芳明である。この要綱ができた背景には1960年前後の前衛美術運動の高揚がある。都美術館を会場とする読売アンデパンダン展には反芸術作品が並び、美術館側は、不快音を発したり、刃物を用いたりする作品の陳列を禁じるため、1962年にこの要綱を制定。同展で作品が撤去される事態が発生。ついに1963年、同展は第15回をもって終了する。なお、この「要綱」は、現在は「東京都美術館運営要綱」(2006年制定)の中の「遵守義務」に部分的に継承されている。

 一方、1960年代後半、東京都は美術館建替えの検討を開始。1965年から66年にかけて建物耐久度調査が行われ、1968年1月、東京都は都美術館改築計画を公表。この計画に対し、北村由雄「都美術館改革 美術団体が反対運動・改革派の評論家と対立」『現代画壇・美術記者の眼 1960-1980』(現代企画室、1981年)、150-152頁(初出、共同、1968年10月)には、借館団体の一部から激しい改築反対の声が上がったことや、美術評論家グループからは改築を機にコレクションの充実や企画性のある展覧会の実施を美濃部亮吉都知事など関係筋に訴えていくことが書かれている。

 連盟は翌1969年2月28日付で東京都美術館改築問題に対する「声明」を発表。現在、この文書が東京都美術館アーカイブに保存されている。そこには、総経費約50億円という大規模な改築について、美術館は、借館団体の利害だけにまかせず、大きな貸し画廊という変則状態から脱すべく系統的なコレクションの展示、斬新な企画展の主催、美術と公衆を媒介する啓蒙的教育活動を実施すべきであり、「美術館本来のあり方を忘れた現在の状態で、建物だけが改築されることにつよく反対」せざるを得ないという連盟の訴えが記され、最後に、改築計画を白紙に戻して常設コレクション、企画展示、社会教育的活動を三つの柱とする美術館実現のために組織や建築の計画をたて直し、館長以下学芸員のスタッフに美術の専門家を加えて充実をはかることが要望として示されている。

 これについて読売新聞は1969年3月4日朝刊13面に「“不十分な改築計画” 都美術館 評論家連盟が声明」という記事を掲載。そこには東京都が都美術館老朽化による改築を計画していること、それに対して美術評論家連盟(会長山田智三郎)が「美術館本来の機能を果たすためには現計画は不十分なので白紙にもどしてほしい」との声明を出し、「①計画、設計の練り直し、②館長以下のスタッフに美術の専門家を加える」などを主張とある。

 

3 美術館本来の姿を求めて

 1971年7月31日付「総会御報告」によれば同年7月10日に国立西洋美術館にて総会開催。同文書の「都美術館問題」という項目には都美術館改築問題につき、「会長が直接都知事に会い声明書に対する都知事の見解をただし、また意見を述べるべきではないか」という提案があり、会長もこれを了承とある。

 1972年1月19日付「常任委員会御報告」によれば同年12月18日に国立西洋美術館にて常任委員会開催。同文書の「都美術館改築問題」という項目には1969年2月28日に連盟がこの件に関する声明書を発表したこと、1971年8月26日に第1回東京都美術館改築に関する懇談会が開かれ、山田智三郎会長と岡本謙次郎常任委員長が出席して連盟の要望を伝えたこと、「本連盟の声明書の趣旨を入れるとの都側の意向が確認された」ことが報告されている。

 1972年7月15日付「総会御報告」によれば、同年6月17日に国立西洋美術館にて総会開催。同文書の「都美術館改築問題」という項目には「前川国男氏設計の基本設計案が出席者に回覧」され、「当連盟の運動」について「企画展示場が設けられたこと、学芸員の確保(9名)及び館長を専門職とする、という点で実現」しつつあるようだとある。

 読売新聞は1972年8月25日夕刊7面記事「都美術館“変身”の課題 “貸し画廊”からの脱皮 企画展にも予算の悩み」で新美術館が来年から着工し、従来の美術団体の新作発表に加え、館独自の企画展・常設展、都民の美術センターとしての役割など都美術館「50歳の変身」を報じるとともに「今まで通りの団体展を新美術館でも続けることは意味がない」という岡本謙次郎の意見を取り上げている。

 1973年7月11日付「総会報告」によれば同年5月26日に国立西洋美術館にて総会開催。同文書の「(Ⅱ)専門委員会報告 1美術館に関する専門委員会」という項目には3回の会合が持たれ、「“美術館の立場”をめぐって全般的話し合いをした」こと、「山種美術館の倉田公裕氏より、学芸員の現状について説明をきき、討議した」こと、「設計担当の前川事務所から関係者を招き、説明」を受けたことが報告されている。

 1975年3月に東京都美術館の建物が竣工。同9月1日に開館。読売新聞1975年4月24日朝刊21面記事「“公募展偏重を改めよ” 都美術館運営論争 今度は美術評論家連盟」には「同連盟は『日展など公募展を締め出し、コレクションの常設展を中心とした首都の美術館にふさわしい運営に改めよ』と強く要求している」とある。

 朝日新聞1975年4月24日朝刊20面記事「9月に開館の都美術館 本来の機能確立を 評論家連盟が都に要望」には「美術評論家連盟(岡本謙次郎会長)は、23日、『都美術館は、美術館本来の機能を確立し、借館を目的とする施設は、近い将来、別に考慮せよ』との美濃部知事あての要望書を出すことを決めた」と記されている。この岡本会長から出された都知事宛1975年4月25日付「要望書」(角印付写し)が美術評論家連盟に保管されている。そこでは1969年2月28日付「声明」で述べた要望の具体化を重ねて求め、以下を要求。「(1)都美術館は、美術館本来の主体的な機能を確立すること、(2)全館を使用する都美術館主催の美術展を、最低春秋2回開催すること、(3)現代美術の系統的コレクションを購入する予算を計上すること、(4)館長以下学芸員のスタッフを、美術の専門家によって充実すること、(5)美術館の運営審議委員会を、第1項の趣旨にもとづいて改組すること」。

 1975年8月付「総会報告」によれば、同年6月21日に国立西洋美術館にて総会開催。この中の「Ⅲ 常任委員会その他の活動」には4月の要望書発表前に記者会見を行なったことや発表後に都美術館側と懇談し、「美術館側も大筋において連盟の主張には賛成であり、ただちに大改革はできないが少しずつ改革してゆく旨説明」があったと記されている。

 こうして、1975年9月1日に開館した新しい都美術館は自主事業と貸館事業の二つを行なうようになる。朝日晃事業課長を筆頭に学芸員が配置され、登録博物館として再出発する。以後、収蔵品の充実や自主企画展の開催、司書の配置による美術図書室の公開、美術講座の実施など美術館本来の事業を拡大してゆく。

 以上のことから1960年代から70年代にかけて美術評論家連盟が都に対して行なった要望は美術館本来の機能とその社会的役割を明確化し、世論や行政の動向に影響を与えたと考えられる。

参考文献
東京都美術館編『東京都美術館80周年記念誌 記憶と再生』(東京都美術館、2007年)
齊藤泰嘉『東京府美術館史の研究』(博士論文修正版)(筑波大学芸術学系齊藤泰嘉研究室、2005年)
斉藤泰嘉『東京府美術館を建てた石炭の神様 佐藤慶太郎伝』(石風社、2008年)

資料
「[東京都美術館の改築に関する]声明」(1969年2月28日)(東京都美術館所蔵)
「[東京都美術館の機能に関する]要望書」([1975年4月25日])

 

 

『美術評論家連盟会報』20号