長年の懸案だった「潟の記憶展—そこでは風土と生活と人がいつも握手していた」(砂丘館8月6日〜10月6日)を実現できた。実際の準備期間はわずか1ヶ月あまりだったが、このコンセプトが胚胎するのに多分20年ほどかかったという気がする。絵(樋口峰夫)と写真(石川与五栄門)と詩(国見修二)とネイチャーアクアリウム(天野尚)を同じ場所に展示するという形は、既存の美術館にいては発想できなかったと思う。「潟の記憶」の「潟」は鎧潟という1966年に干拓で姿を消した越後平野最大の潟。その在りし日の自然と生活を記録した写真と、潟の消失後数十年を経て現れた複数ジャンルの表現から、潟の世界へ接近したいと考えた展示だった。遠方からの来訪者には「潟」と「干潟」の区別がつかない人が多かった。干満差の大きい太平洋と、ほとんどない日本海の海の違いもあまり認識されていないようだ。かつて100を超える潟(浅い湖)が点在し、イングランドのブローズのように、無数の水路でつながれていた越後平野、および列島各地の低湿地帯に存在していた文化(「低湿地文化」)の姿にこれからも少しずつ近づいていきたい。稲ももともと水草だったとこの展示が始まって初めて知った。瑞穂の瑞は「水」なのだ。