私が、30代のころ、都内のM美術館で開催された企画展で、知人の出品作家の作品修復作業を、美術館収蔵庫で手伝っていたときのことだった。
美術館のM学芸員が、「作家本人の語ったことを鵜呑みにしてはいけない。作家が事実を語るとは限らない。自分の足を使って作家周辺もくまなく調べなさい」と教えてくれた。
この展覧会では、実際に出品作家の出生年の間違いをM学芸員が見つけ出したことで、知人作家の収蔵品がある東京国立近代美術館や国内の多くの美術館の作家プロフィールの修正を余儀なくされたことがあった。
現在、国内では、日本を代表する美術家らからの聞き取りとアーカイブづくりが、加治屋健司らの尽力で、21世紀に入ってから急ピッチで進められている。
将来、一級の一次資料になる可能性が高いインタビューでは、事実の誤認につながらないように、聴く側も事前の綿密な調査を経て、聞き取り調査に臨んでほしいと私は願っている。
現在、埼玉県立近代美術館で開催されている企画展「DECODE/出来事と記録—ポスト工業化社会の美術」(2019年9月14日~11月4日)のパンフレット解説文には、「〈もの派〉の捉え直しへの切り込む手がかりとしたい」とあった。
〈もの派〉については、峯村敏明の「もの派について」(『美術手帖』(1978年7月))の論文で定義がほぼ確立し、「モノ派」(鎌倉画廊、1986年)で、作家9名(李禹煥、関根伸夫、小清水漸、吉田克朗、菅木志雄、成田克彦、榎倉康二、高山登、原口典之)が峯村によって特定された。
さらに、「もの派とポストもの派の展開 1969年以降の日本の美術」展(西武美術館、1987年)を経て、「1970年―物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち」展(岐阜県美術館他巡回、1995年)で3名(高松次郎、野村仁、狗巻賢二)が追加され、「もの派—再考」(国立国際美術館、2005年)で、〈もの派〉同類及び影響を与えた作家としてグループ幻触の5名(飯田昭二、丹羽勝次、前田守一、鈴木慶則、小池一誠)が加わり〈もの派〉関係作家が17名になった。
さらに、最近になって、郭仁植が、当時、〈幻触〉〈もの派〉の作家らに影響を与えた可能性を調査する韓国人若手研究者(朴淳弘ら)も出はじめている。
〈もの派〉誕生における李禹煥や菅木志雄らの役割とともに、〈もの派〉定義の確立にあたっての峯村の功績は大きい。
しかしながら、この50年間で、峯村史観を中心にした〈もの派〉定義に対して、何らかの形で補足や修正や捉え直しなどにかかわった美術館関係者や研究者・批評家は、千葉成夫、尾野正晴、中井康之、椹木野衣、梅津元、成相肇ら数人にすぎない。
今は、埼玉県立近代美術館が力強く宣言した「〈もの派〉の捉え直し」の言葉を信じて、今後の調査・研究に期待したい。