筆者はあいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」の5人いる実行委員(キュレーター)のひとりだ。公共空間や施設で検閲された美術作品を集めた本展は3日間で展示中止を強制された。本稿はその雑感だ。
「このトリエンナーレに関しては、美術の関係者は、余計な火の粉を浴びたくもないし、関わって得になることはないから、口をつぐむ傾向にあります」(伊東乾「末期症状、あいちトリエンナーレ」『JBpress』2019年8月19日(*1))。
記事は比較的早期のものだが、後の事情は余り変わらない。活発に活動した作家はともかく、美術界の評論家やキュレーターの口はおおむね重かった。美術評論家連盟は本件に対しアピールを表明した。これは以下の問題がある。
1)会員の筆者に事情聴取はなかった。2)こちらが本件で問い合わせるまで慰労がなかった。3)憂慮表明は問題の実情に立ち入らないがゆえに連盟会員のアライの権利侵害への告発になり得ないこと。この3点がある。
1については、当事者の持つ一次情報の重みを敬遠したためと推測できる。また、2は情の希薄さ、3はきれいごとの形式論にとどまることなかれ主義と言える。
日本図書館協会「図書館の自由委員会」委員長の西河内靖泰さんは心配をして電話をかけてくれた。先の事情を話すと彼はこう言ってくれた。
「アライ君、日本図書館協会は図書館と司書を守るためのもの。仲間を守れない組織なんていらないよ」。
あいちトリエンナーレ2019では、日本作家2名もいるが、十数名の海外作家の展示ボイコットにみるように検閲に対する内外の危機意識に違いが見られた。8月には私は韓国・ソウルでのこの問題を論じるシンポジウムに招聘され、講演を行った。韓国人は強い連帯を示してくれた。登壇者の美術作家、洪成潭(ホン・ソンダム)さんはこう語った。「日本の識者がどうあいちを解決するかによって日本の未来も決まる」。
註
- https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57360 (2019年8月26日以前に閲覧)