このところ、文化庁が四月に発表した新たな指針「アート市場の活性化に向けて」のなかで述べられている、「リーディング・ミュージアム構想」についての議論が喧しい。文化庁が提示した資料の図によると、これに指定された美術館の学芸員は、購入・寄贈された作品を国内に残すべきかどうかを判定し、不要とされた作品の売却を積極的に推進して、美術作品の流動化をはかる役目を担っていくことになりそうだ。
改めて博物館法を引き合いに出すまでもなく、美術館は営利を目的としてつくられた施設ではない。文化財の保存・公開・そして次の世代への伝承を第一義とし、経済活動とは厳しい一線を画された存在だ。それがこうした経済活性化策の実施ステージとして取り扱われるとなると、根本的な喰い違いは深刻だ。どういう方向から考えても承諾できる内容ではなく、現場からの強い反発は当然のことといわねばならないだろう。
さらに私が注目したいのは、同図のなかに「批評・メディア」として、美術評論に関する項目もみられることだ。「海外では、ミュージアムという中核的機関(評価軸)があることで市場参加者が増加し、流動性が向上(=アート市場が活性化)する状況を創出」し、「アートコミュニティとミュージアム(キュレーター)が緊密に連携し、持続的にアーティストを発掘・育成することにより、循環回路を円滑化して」いるという。
美術評論家はアート系メディアと一緒になって、ミュージアムをアートフェアやオークションの方向に押し出していって、アート市場の拡大すなわち「稼ぐ文化」の創出に尽力しなければならないとされる。次世代のスターを生み出し、アート市場を持続的に成長させることで資産を増大させ、美術館(とその収蔵作品)を「稼ぐ文化」の先頭を切る目玉商品にすることこそ批評家の努めといわれたようで、もはや返す言葉がみつからない。