宇佐美圭司作品の破棄について  高階秀爾

2018年11月09日 公開

 1977年、私は東京大学消費生活協同組合から、安田講堂地下の学生食堂をリニューアル整備することになったので、その壁を飾る絵を選んでほしいという要請を受けた。その時私は、学問の府である大学の、それも若い学生たちが集う食堂に飾るなら、少くとも次の三つの条件を満たすものでなければならないと考えた。①優れた芸術作品であること、②現代的であること、そして③感性と知性に等しく訴えるものであること、の三点である。①と②については、改めて説明の必要もないであろうが、③に関しては、当時の新しい芸術活動の多様な状況を思い返してみることが必要であるかもしれない。事実その頃、1950年代、60年代に吹き荒れた「アンフォルメル 」や「アクション・ペインティング」など、「叙情的抽象表現主義」と呼ばれる活動もなお続いていたし、その一方で、ひねりを効かせた「ネオ・ダダ」や、大衆文化のイメージを取り入れた「ポップ・アート」的作品も姿を現わしていた。そのなかには、興味深い優れた作家もいないわけではないが、上記三条件を満たす作家はまず思い浮かばない。その点、宇佐美圭司は、優れた画技の持主であると同時に、徹底した思索家であり、そのことをよく知っていた私は、ためらわずに宇佐美圭司を選んだ。そのような経緯で、宇佐美の代表作とも言える大作《きずな》が描かれ、学生食堂の壁に設置されたのである。
 その後、東大を退官してから、自然と学生食堂を訪れることもなくなり、作品と接する機会もないままになっていた。 それだけに、完成から40年も経過した時期に、突然、学生食堂の改修に際して、宇佐美作品が破棄されたと知らされた時には、まず驚愕し、 そして無念の思いに駆られた。言うまでもなく、美術品は、同じ知的精神活動の所産である著作物とは違って、存在形態としては単体のモノである。モノである以上、放置すれば劣化し、傷つければ破壊され、破棄されれば永遠に失われてしまう。つまりモノである作品の保全、管理には、特別の配慮と措置が必要である。東大では、ことの重要性に鑑みて、ただちに「宇佐美圭司《きずな》から出発して」と題する一日がかりのシンポジウムを開催して、宇佐美作品の意味と価値を検証すると同時に、それ以外の美術遺産の調査、保全、管理の必要性をさまざまの角度から論じた。私もまた、大学のみならず広く公共施設に存在する貴重な美術品の保全の重要性を強く訴えたい。