平成の美術 1989-2019  椹木野衣

2018年11月09日 公開

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 「平成の美術」という括りが頭に浮かんだのは、「そういえば平成の美術という言葉を聞かないな」と感じたからです。そう思って少し調べてみたのですが、これだけの数の美術館がある日本列島にもかかわらず、「平成の美術」を回顧するというような企画もないようなのです。特に今回の改元は、天皇の崩御によるものではなく、明治以降初の生前退位となる点でも例外的ですが、言い換えれば、私たちは初めて元号が変わることをあらかじめ伝えられ、時間の猶予を与えられているのですから、時間が限られているとはいえ、なにかしら関連する企画があってもよさそうなものです。ちなみに、これは改元が決定する前のことになりますが、2017年に春期・夏期・秋期の三回に分けて、東京都写真美術館が総合開館20周年記念と銘打って「平成をスクロールする」という展覧会を開催しているのは、コレクション展だったとはいえ、その意味では予兆的だったと言えるでしょう。それにしても、平成の回顧という仕事が、なぜ写真を専門に扱う美術館で率先して行われたのでしょう。もしかすると、写真の持つ記録的な性質が、おのずと元号という時代の区分を呼び寄せるのかもしれません。事実、同館はそれに先立つ2007年にも全4回に分けて「「昭和」写真の1945−1989」と題する展覧会を催しています。
 写真の分野でこうした試みが行われる一方で、なぜ平成の美術については光が当てられてこなかったのでしょうか。西洋美術史が西暦で刻まれる歴史の区分に沿って記述されているのだとしたら、日本美術史は原則、元号によって書き進められてきました。もしそうなら、明治期の美術、大正期の美術、昭和(戦前・戦中・戦後)期の美術がごくごく一般的に語られ、展覧会として催されるのに対して、私たちは、あまりにも平成の美術について無防備でした。しかも平成は30年にわたって続き、日本の元号としては昭和、明治などに次いで4番目に長い期間に当たります。日本美術史を継続するのであれば、この期間の美術について、なにかしらのかたちで扱わないわけにはいかないでしょう。私たちには、その準備ができているでしょうか。平成の美術、それは突然、降ってわいたように姿をあらわし、急に私たちにあれこれ考えることを促し始めているのです。
 では、平成の美術はなぜ、このように忘れられていたのでしょう? いくつかの理由があるものと思われます。もっとも大きなのは、平成が、西暦でいう1989年から始まったことが挙げられると思います。世界史的に見たとき、1989年は言うまでもなくベルリンの壁が崩壊し、米ソによる東西冷戦構造に終止符が打たれた年にあたっています。これを期に、世界を二分した自由主義か社会主義かというイデオロギー闘争に決着がつき、アメリカの主導する民主主義、資本主義が勝利を収め、この理念が世界の大半を覆い、いわゆるグローバル時代が始まりました。当然、国境を越えて人や資本が移動し、同じ言語でコミュニケーションが図られ、同じ価値観で善悪も判断されるようになりました。そうなれば、たとえ一国の内部であっても、その外部と円滑にやり取りするためには、西暦を使ったほうが様々な領域にわたってはるかに利便性が高くなります。私たちはおのずと、日頃から西暦を使うようになり、他方では元号をかつてほど意識する機会は減っていきました。ましてや、平成期には2001年という、西暦で21世紀を迎えるだけにとどまらず、100年単位でしかない世紀を超えて、新たな千年紀を迎えるという決定的な区切りがありました。世界中でミレミアム・イヤーが祝われるなか、平成の影が薄くなるのも致し方なかったと言えます。
 しかし、ここで思い起こすならば、少なくとも私の世代は、物心がついてからずっと、昭和という元号を意識して育ってきました。子供のころから、生年月日を聞かれれば、昭和で答えるのが当たり前でした。親や親族の誕生日も同様です。大きな事件や出来事があれば、昭和のうち何年に起きたことかで記憶に刻んでいました。そんなふうだから、自分の誕生日が西暦で何年に当たるのかを知ったのは、ずいぶんあとのことになります。
 ところが、平成に改元してから様相は一変しました。西暦と元号との力関係はあっというまに逆転し、私たちの思考もまず西暦で進められ、そのあとでそれが平成では何年に当たるのかを換算するようになりました。たとえば2001年は、先に触れた新たな千年紀の始まりを告げる大きな年にあたるだけでなく、アメリカで同時多発テロが起き、世界がテロと対テロ戦争の時代へと一斉になだれ込んでいく端緒になったことでも記憶すべき歴史的意義を持ちますが、この年が平成でいったい何年にあたるのか、即答できる人はどれだけいるでしょうか。

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