北斎に人生を捧げた永田生慈さん  小川敦生

2018年11月09日 公開

 2月に亡くなった永田生慈さんは、葛飾北斎に人生を捧げた研究者、そして収集家だった。昨年夏、島根県立美術館にコレクション1000点が寄贈されたのは記憶に新しい。
筆者が記者として関わった中で時折思い出すのは、永田さんが副館長を務めていた太田記念美術館で十数年前に北斎筆の肉筆画《龍図》と《虎図》を並べて展示し、「対幅であること」の発見の経緯を説明していた時の口調だ。どちらかといえば淡々と説明する中に底知れぬ力強さを感じたのである。
 《龍図》はパリのギメ東洋美術館、《虎図》は太田記念美術館の所蔵品だった。同館の日野原健司主任学芸員に確認したところ、「対幅であることは、たまたまの発見だった」という。ギメでの展示のために日本から《虎図》を送り、「似た絵がある」というので比べたところ、大きさも表装も一致していた。しかも、並べると龍と虎がにらみ合っていたのである。
 こうした発見は、近代以降大量に流出した浮世絵を持つ海外の美術館等との交流に永田さんが積極的だった中で生まれた。日野原さんは「永田さんは浮世絵商や古書店とも付き合いを密にし、骨董市にもよく出かけた。海外の美術館との交流も深かった」と話す。すべては一次資料として作品や文献に当たるためだった。根底に北斎への愛があったのは言うまでもない。
 永田さんの北斎好きは子どもの頃からで、楢崎宗重さんのもとで学ぶために立正大学に入学する。太田記念美術館では1980年の開館時から働いた。一方で、人付き合いがあまりよくなかったとも聞く。図らずも生前最後の著書になった『葛飾北斎の本懐』の中では、北斎がよく語られるような人付き合いのよくない奇人だったのが本当かどうかを検証するために一章を割いた。その記述によると、北斎は絵師などの仲間とは熱心な交遊があったという。それもまた、浮世絵連絡協議会を作り、浮世絵関係の学芸員とのネットワークを大切にした永田さんの姿を思わせるのである。