昨年6月に光州ビエンナーレ財団のディレクターに就任したキム・ソンジョン氏の新しいディレクションの下、「光州ビエンナーレ2018」が去る9月7日に開幕した。第12回目となる今回のビエンナーレは、第1回光州ビエンナーレのテーマ「Beyond Borders」とベネディクト・アンダーソンの『Imagined Community(想像の共同体)』への今日的な応答として設定された「IMAGINED BORDERS」と題されたテーマを11人のキュレーターが7つのセクションに分かれて単独で、あるいは共同でキュレーションするという野心的な試みであった。メインの二会場に展開した7つの展覧会は、23年の光州ビエンナーレの歴史的文脈に言及しながらも、それぞれのキュレーターによるテーマの自由な解釈によるキュレーションが尊重された構成となっていた。それでいて展覧会全体がバラバラとした印象にならず、互いのキュレーションが重層的に呼応しながら、興味深い対話を生み出して、大型の国際展のキュレーションに対する新しいキュレートリアルな言説の可能性を感じさせる展覧会に仕上がっており、キム氏の采配が冴える見事なビエンナーレであった。
日本での近年のキュレートリアルな言説について考える際に、光州という特異な地域性と歴史的経緯から生まれたビエンナーレとの単純な比較論は避けたいが、同じアジアで長年欧米中心の美術史や美術批評を横目に見ながら、自国における展開について取り組んできた国同士という観点に立つと、そのキュレートリアルな言説を果敢に生み出していく姿勢には、学ぶべきものは大きいと感じた。日本において展覧会をキュレーションすることは、日本独自のキュレートリアルな批評の新しい地平を開く行為である。言葉に書き起こす言説も重要であるが、「展覧会」という形で可視化される言説も重要であると長年キュレートリアルな現場に身を置きながら実感してきた。本美術評論家連盟には、美術館学芸員やキュレーターの方々も多く籍を置かれているが、「展覧会」という行為を通してしか成し得ない批評の可能性を是非とも追求して頂きたいと思う。私自身は、国際交流基金に2年前から籍を移したが、そうした言説が生まれる下地やきっかけ作りに微力ながらも尽くしていきたいと思う。またしばらく休みがちであった執筆・研究活動も徐々に再開していきたいと思いを新たにして、去年から美術評論家連盟に遅まきながら入会させて頂いた。これからもさまざまな形でキュレートリアルな批評の生成に関わりながら、次々と熱い議論が生まれるような刺激的な展覧会の現場に一つでも多く立ち会いたい。