成熟した表現と議論の心地よさ  荒木夏実

2018年11月09日 公開

 先日KAAT神奈川芸術劇場で、ニューヨークの劇団ウースターグループによる『タウンホール事件』を見た。1971年、作家のノーマン・メイラーがフェミニズムの旗手である女性パネリストたちを招いて行われた女性解放に関する討論会がテーマだ。男性中心主義的メイラーとフェミニストの対決の様相を呈したセンセーショナルなイベントの記録映像が舞台上のモニターに映る。登壇者を演じる俳優たちの演技と映像の人物が呼応し、言葉がしばしばシンクロする。役者の身体に歴史的ファクトが宿る瞬間、彼らはシャーマンのように他者の言葉を語り、舞台に緊張した空気がみなぎる。
 女性たちを挑発するメイラーを二人の男性が演じている。分裂した自己を象徴する彼らが殴り合いの喧嘩を始める一方で、作家のジル・ジョンストンはレズビアンの恋人と壇上で延々と口づけを交わす。虚実入り混じるドラマは息つく間もなく展開する。
 ポストパフォーマンストークで、芝居とトピカルなテーマとの関連について質問されたディレクターのエリザベス・ルコンプトは、この演劇を着想した5、6年前はトランプ政権も#MeToo運動もなく、自分たちは普段通りにポリティカルな問題を扱っただけであり、「社会に貢献する」というプレッシャーからアーティストは自由であるべきだと述べた。また「女性の立場は1970年代から変化したのか」という私の質問に彼女は、当時はフェミニストの女性であってもメイラーのような男性をファーザー・フィギュアとして、あるいは恋愛対象として必要としていたのに対し、今日そのような役割の男性が不要になったことは大きな変化だと穏やかに語った。(加えてメイラーのことさらにマッチョな態度はエンターテイメントの一部であったろうことも。)
 先鋭的な内容とは対照的に、一貫してリラックスした態度で政治やフェミニズムを語るルコンプト。1975年から劇団を率いてきた彼女の豊かな経験がなせる技か。成熟した芸術体験、嘲笑や揚げ足取りのない議論の場に出会う喜びは大きい。真の表現と言論の自由を感じる稀有な時間だった。