結成経緯

美術評論家連盟の結成

 美術評論家連盟は、1954年に5月15日に当時京橋にあった国立近代美術館(現 東京国立近代美術館)で創立総会が開かれて結成された(※1)。それまで日本にはいくつかの美術評論家の団体が存在したが、それらとは独立して、国際美術評論家連盟の日本支部として設立された(※2)。日本における美術評論家の団結をはかるとともに、国際的に協力し、造形文化の発展に寄与することを目的とし(※3)、国立近代美術館内に事務所を置いた。

 結成時の会長は土方定一、常任委員長は富永惣一、常任委員は今泉篤男、金丸重嶺、勝見勝、嘉門安雄、浜口隆一、山田智三郎、和田新、事務総長は河北倫明、書記は小倉克之(忠夫)であり(※4)、連盟の資料によると、少なくとも結成の年に31名が参加していたことが確認できる(※5)。

 初年度の会員には、美術評論家だけでなく、建築評論家、デザイン評論家、写真評論家、建築家など、様々な分野の専門家が入っている。結成時の報道で、美術評論家連盟は「狭義の美術に限らず、建築、工芸、写真、美術教育等に亘る評論家をも含み、造形文化に関する諸問題の検討、国際文化交流問題、関係諸機関や団体との協力、その他に関する団体的活動を行うこととしている」とあるように、美術だけでなくその隣接領域をも対象とした、広がりをもった組織として結成されたことが分かる(※6)。

結成の経緯

 結成の背景には、まず国際美術評論家連盟からの働きかけが挙げられる。国際美術評論家連盟は、日本での結成の2年前の1952年に、総会で日本支部、ドイツ支部、トルコ支部の正式加入を承認している(※7)。総会に出席した富永惣一は、連盟が事前に「日本支部を設けたい意向を知らせて来た」と述べており(※8)、国際美術評論家連盟からの働きかけによって、まだ結成されていない日本支部の正式加入が認められたと考えられる(※9)。

 結成のもうひとつの背景として、国際展への参加に評論家が組織として対応する必要があったことが指摘できる。1953年の第2回サンパウロ・ビエンナーレの参加にあたって、関係機関の連絡に不備があったことから、1953年6月、外務省の外郭団体だった国際文化振興会以外に、関係機関・団体等の連絡機関として国際美術懇談会が非公式に設けられた(※10)。1954年ヴェネチア・ビエンナーレに参加するにあたり、同年2月に国際美術懇談会が開かれ、参加作家の選考に向けて美術家と評論家がそれぞれ5名ずつ選考委員を推薦することになったが、美術家は日本美術家連盟が委員を推薦したものの、評論家の方は、富永、土方定一、今泉篤男が選考委員を推薦することになり(※11)、評論家も組織として対応する必要性が生じた。1952年に国際美術評論家連盟が日本支部を承認した後、美術評論家連盟結成の動きはなかったが、この国際美術懇談会開催の3か月後に美術評論家連盟が結成されたことを考えると、美術評論家連盟の結成に直接影響を与えたのは、国際展参加への対応の問題だったと考えられる。

 

(1)無署名「美術評論家連盟結成さる」『日本美術家連盟ニュース』43号(1954年6月)、5面。

(2)これまで美術評論家連盟は、美術問題研究会、美術評論家組合、美術評論家クラブを前身団体としていたが、これは事実ではない。以下を参照。加治屋健司「美術評論家連盟設立の経緯」『美術評論家連盟会報』第20号(2019年11月)

(3)「美術団体一覧」『日本美術年鑑』(昭和29年版、東京国立文化財研究所、1954年)、269頁。この文言は、美術評論家連盟規約第2条と同じであることから、連盟の目的は結成以来変わっていないことが分かる。

(4)瀬木慎一『戦後空白期の美術』(思潮社、1996年)、182頁。書記以外は現在も存在する役職であり、結成時から組織の構成はほぼ変わっていない。

(5)結成時の会員数は資料によって異なる。土門拳による写真で12人の美術批評家を紹介する記事で、千木九郎(他に文章を発表しておらず、ペンネームと思われる)は「戦前派、戦後派とりまぜて数十人」と述べている。千木九郎・文、土門拳・写真「12人の美術批評家」『美術手帖』85号(1954年9月)、46頁。瀬木慎一は註4の書籍(182頁)で、「発足時の会員はせいぜい20名程度」と書いている。瀬木によると、印刷された名簿があったようだが、現在の連盟には残っていない。

(6)註1の文献を参照。

(7)Anonymous, “International Association of Art Critics, 4th General Assembly, Zurich-Basle-Lauzanne, July 7-12, 1952 [Compte-rendu de l'Assemblée générale, 1952],” FR ACA AICAI THE CON005 04/06, Archives de la critique d’art, Rennes, France.

(8)富永惣一「第4回世界美術評論家会議」『美術批評』11号(1952年11月)、26-27頁。

(9)この点については瀬木慎一も、日本は国際美術評論家連盟に「誘われて参加し、この打診を受けて[…]日本に加入の意思があることを表明した」と述べている。瀬木『日本の前衛 1945-1999』(生活の友社、2000年)、245頁。

(10)無署名「国際美術懇談会できる」『日本美術家連盟ニュース』36号(1953年8月)、3-4面。設置の会合には、外務省、文部省、文化財保護委員会、日本ユネスコ国内委員会、国立博物館、国立近代美術館、日本美術家連盟、国際文化振興会等の代表者が参加した。なお、国際美術懇談会はあくまでも便宜的な連絡機関にすぎなかったため、1957年3月に、美術評論家連盟と日本美術家連盟は連名で国際展参加等の問題に対応する機関の設立を外務大臣と文部大臣宛に陳情し、同年8月に国際美術協議会が発足することになった。無署名「「国際美術問題処理機関」に関し政府に陳情」『日本美術家連盟ニュース』67号(1957年3月)、1-2面、無署名「国際美術協議会」『日本美術家連盟ニュース』70号(1957年9月)、5面。

(11)無署名「ビエンナーレ日本参加きまる」『日本美術家連盟ニュース』40号(1954年3月)、4面。

 

なお、以下に歴代の美術評論家連盟会長を挙げておく。

1954~55年 土方定一
1956~59年 富永惣一
1960~63年 瀧口修造
1964~65年 富永惣一
1966〜73年  山田智三郎
1974〜82年  岡本謙次郎
1983〜86年  東野芳明
1987〜94年  河北倫明
1995〜98年  本間正義
1999〜2008年 針生一郎
2009〜11年 中原佑介
2012〜17年 峯村敏明
2018〜19年 南條史生
2020〜21年 林道郎
2022年~  四方幸子