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2020年11月14日 公開

美術批評とメディアの30年

特集趣旨

 

中村史子

 

 今号の会報特集では、1991年から現在までのおよそ30年間、美術批評が展開されてきたメディアに着目し、いかなるメディアでどのような美術批評が実践されてきたのか検証する。美術評論家連盟の会報がWeb版に移行して10年になる点を踏まえ、本特集では紙媒体だけではなくオンライン上の批評も意識的に視野に入れ、メディアごとの記録、考察を行う。また、それにあたり、特集を構成する13本のテキストは、それぞれの動向に対し、出来るだけ当事者に近い方々に執筆をお願いしている。
 ただ、30年間の批評の動向を美術評論家連盟の会員による10本余りのテキストで網羅するのは、もとより限界がある。例えば、都市文化とも交錯する90年代初頭の批評の潮流を、本特集は十分に掬い上げられていない。加えて『美術手帖』『芸術新潮』および『A&C : Art & critique』『季刊 武蔵野美術』『FRAME』など1991年以前に創刊された雑誌の幾つかについては、その重要性を認識しつつも残念ながら取り上げられなかった。記述できなかった事柄について補うべく特集の最後に年表を付したが、それでもなお欠落部分が多数あるのは認めざるを得ない。
 しかしながら、本特集の目的は、30年間の美術批評史の画定ではなく、美術批評がいかなるメディアでどう展開されていたか、まずは個別に描写することにある。そのため、偏りが生じるとしても、歴史化される機会が少ない小規模なメディアや局所的な批評の輪を、積極的に拾い上げた。加えて、批評言説の周囲に集った人々の心情や時代背景も浮かび上がるように、編集委員が各テキストのタイトルを付与するなど調整を施した。
 その結果、美術批評と一口に言っても実に様々なスタイルが生じてきたことが浮かび上がっているのではないだろうか。ごく短い発行期間にも関わらず現在まで強い影響力を持つもの。個人が確固たる信念と矜持を持って長年発行し続けているもの。発行や販売のシステムにも批評的試みが看取できるもの。メディアごとに意図や方向性は異なるが、どれも内的な必然性をもって為されたことは確かだ。

 2019年から2020年にかけて、文化芸術の窮状に対する美術批評の無力を嘆く声を何度も耳にした。悲惨な状況の中、私も全くその通りだと思う。
 ただ一方で、批評の機能不全を意識せずにいられた時代はこれまでもなかったはずだ。本特集に寄せられたテキストを読み進めると、多くの者が同時代の傾向や事象に対する違和感や怒りを裡に秘めながら、美術批評に向かったことが分かる。そして、少なくともこの30年間、批評の言葉は生み出され続けており、断片的であってもその言葉と足跡は残されている。余りに楽観的すぎるだろうか。ただ、その事実自体が、これからも批評の言葉を紡ぐことを、可能にしてくれるように感じる。

 

『美術評論家連盟会報』21号